稲作の終わりに
 
  稲作の終わりに1
 日本がだんだんあぶない状態になってきている、ということは皆が感じていることだと思います。金融や大手会社の倒産など、報道が「バブルの清算」や「景気対策」のことばかりやるので、農業が今どんな状況なのか、その情報は少なく、実感できる人は少ないと思います。もはや、農業どころじゃない、といった感じでしょうか。
 バブル絶頂の頃、知識人と言われる人たちがテレビに登場して「日本の農家は食管制度にあぐらをかいている。世界的な競争力もない、努力もしていない、税金の無駄使いだ、食糧は諸外国に任せて、日本は商工業中心でやっていった方が良い」などと、さんざん農業批判をやりました。サラリーマンが納めた税金を農家が無駄使いしている、そんなニュアンスの話が多かったように思います。しかし、農業補助金などは農家のポケットに直接入るわけではなく、基盤整備とか用水整備とか、大規模ハウスとか、建設、土建がらみで使われていくものなので、名目は「農業補助金」でも、儲かったのはむしろ土建屋さん達だったように思います。そういった公共事業が、地方の景気を支えていた側面があるのに、とにかく「農業のせいで税金を無駄遣いしている」みたいな言われ方をされつづけていたように思います。
 そして、平成5年の凶作が来て、なし崩し的に米の輸入が始まり、翌年からは豊作が続いているので米余りになり、米価はどんどん下がっています。販売の仕方も、規制緩和で、登録すれば誰でも売ることができるようになっているので、それこそファミリーレストランやガソリンスタンドでも米が売られるようになり、競争が激しいので、消費者米価は益々下がっていっています。
 米が余っているので、生産調整として、3割減反という史上最高の減反面積が割り当てられ、農家は、米価が下がっても多く作ることもできない・・・。売るほうは規制が緩和され、作るほうは益々規制が強くなっていく、そんな生産調整があるにもかかわらず、今年できる米は、政府は一切買い取らないことになるらしい。「全部自主流通米で、どうぞ勝手に売ってください、」ということらしい。これはいくらなんでもめちゃくちゃな話だと思いますが、暴動が起きないところを見ると、農家ももうすでに諦めていているのかもしれない。現に「今動いている機械が壊れたら、もう稲作はやめる」と考えている農家の人は実に多くいます。日本の稲作が終わろうとしている、それも、先の話でなく、あと2〜3年で確実に生産が落ち、そして輸入がどんどん増えて、大豆や小麦がたどった道を行くのが感じられます。輸入米を買えばいい、と思う人も多いでしょうが、日本が米を外から買えば買うほど、飢えている国の食糧がなくなっていくわけです。           

稲作の終わりに2
 平成5年の米不足のときに起こったパニックの時は、輸入米を食べるのは嫌だ、国産米を食べたい、という感情が国民全体にあったと思います。政治は必ずしも世論を反映しない、というのが当たり前になってしまっていますが、平成5年以降どんどん輸入米の枠は拡大され、国産米も豊作が続いているので米余りになり、米価はどんどん下がってしまいました。輸入米も平成5年の時はタイ米など、品質の悪いものが多かったですが、今はオーストラリア、中国、アメリカなどで日本の食味を意識してコシヒカリ、ササニシキなどを作っているので、黙って出されると国産米と区別がつかないほどだそうです。今ファーストフードやファミリーレストランで出されている米も、それらの輸入米だそうです。ファミリーレストランも今は競争が激しく、ハンバーガー屋並みの値段で出さなければならないので、食味がまぁまぁであれば輸入米大歓迎といったところなのでしょう。
 前と違って輸入の枠は広がり、品質も良くなっていて、おまけに消費者の自炊が減り、外食が増えているので、もし仮に不作の年が来ても、前ほどのパニックは起きないだろう、と言われています。そんな背景があるので、稲作農家が将来に明るい展望をもてないのも当然のことだと思います。ですから、本当に日本の稲作は終わりに近づいてきていると思います。世界的な不作が起こり、糧断の危機が訪れるまで、日本の米政策が見直されることは無いことでしょう。

稲作の終わりに3
 今年は雷が多かったと思います。(うちの息子に落ちるカミナリじゃなくて本当の雷)
 雷の多い年は、稲は豊作になると昔から言われています。これは雷の放電によって空気中の窒素が地面に降って来るから、というのが一つの理由で、もう一つの理由は、雷が多い年=雨が多い年なので、水利条件の悪い山間の田んぼなどにも豊富に水が行き渡るから、ということだそうです。イナズマは「稲の妻」と書きますが、気象、農業、言語という文化が一体となって表れていて興味深いですね。 昔は、天候がどうであるか?、ちゃんと食べ物ができるだろうか?、ということが最大の関心事だったことでしょう。昔の人は、神様に豊作を祈るような気持ちや、自然に感謝する気持ちなどを持ちながら、あの雷の爆音を聞いていたに違いありません。
 今年の夏、雷の鳴る中の配達中に思ったのは「あぁ今年も豊作で、益々こめの値段が下がっちゃうだろうなぁ」ということでした。豊作を喜べない、おかしすぎる状態だと思います。すぐ近くの国では飢餓が起こっているというのに・・・。ちゃんと税金を使い、農家に後継者が出るくらいの、「稲を作っていれば、まぁまぁ生活できる」というくらいの米価を保証し、もし豊作で米が余ったら、飢えている国に「どうぞ食べてください」とプレゼントすればよいと思います。米の生産を安定させるために使う税金は、無駄遣いと言われ、湾岸戦争に使ったお金は、誰も無駄だとは言わない、人を生かすためのお金は無駄で、人を殺すためのお金は無駄ではない、ということなのでしょうか。
 食糧を生産することの大変さも、食料が不足することの恐ろしさも、実感として今はありません。そして湾岸戦争で何人もの子供たちが巻き添えになって死んだことも実感としてありません。つまり、今の日本は生きる実感もなく、殺している実感もないわけです。
 実感はないけど、ちょっと考えてみれば判るはず、まともな感性があれば、おかしい!と判るはずだとおもいます。でも新聞やテレビの情報を鵜呑みにして(この情報も実感がない)、グローバルだのITだの言っている人が大勢います。経済を立て直すのが最優先!?。今までだってどんどん文化を捨てて経済優先でやってきたじゃないの、なのに何で経済が転んじゃうんだろう?。経済が本当に駄目になったとき、せめて「山河あり!」と言える国づくりをするべきだと私は思います。

稲作の終わりに4
 その植物を「イネ」と呼ぶか「コメ」と呼ぶかでずいぶん意味が違ってくる気がします。東京で育った私にはイネを育てた経験が無く、どうしても「おコメ」という認識(実感)しかありません。生産者と話すとき、「今年のおコメはどうですか?」と聞くと、「あぁイネか、今年のイネはねぇ・・」と返されると、食べる部分にしか目がいっていない自分に気づきます。それと同時に「イネ」という呼び方、全体を指す言い方に憧れを感じます。
 イネの素晴らしいところは数々あります。まず、食糧として考えた時、他の小麦、トウモロコシ、大豆などの穀物と比較して、最大の特徴は、水田による栽培をするので連作障害が無い、ということが挙げられると思います。水を使うことで山の岩石のミネラルが豊富に流れ込むので、連作障害が起こらないわけです。
 そして他の植物と大きく違うもう一つの特徴は、珪酸をよく吸収する根っこをもち、珪酸を体に蓄える、ということです。珪酸はシリカ、つまりガラス質です。麦わらの切り口を見てみると、中が中空(つまりストロー)になっていますが、見えるのは麦の本体と空間だけです。稲わらの切り口を見てみると、やはり中空なのですが、細胞と空間の間に珪酸が蓄えられて土のように見える部分があることに気づきます。この珪酸分(ガラス)があるから稲わらは丈夫で、ワラジにしたりタワラにすることができるのです。試しに、その辺の雑草の茎を使ってワラジを作っても、10メートルも歩かないうちに壊れてしまうと思います。イネは、コメという食糧を与えてくれるだけでなく、稲わらという丈夫な茎を人間に与えてくれているわけです。
 また、稲わらの珪酸分は畑の土を良い土に変えてくれるものです。なぜ珪酸分が畑に入ると良い土になるのかという理由はここでは省きますが、陸で育つ植物で珪酸分を吸収して蓄えることのできるものはほとんどありません。川から流れてくる珪酸分をイネが固定し、そしてその稲わらを畑に堆肥として投入する、これが畑の作物にとっても大きな効果となっていたわけです。
 また、煮た大豆を稲わらで包むと納豆が出来上がりますが、これもイネが納豆菌という非常に強い菌と共生関係をもっているからできることで、大豆の栄養素を何倍も吸収しやすい形に変えてくれるわけです。
 というわけで、イネという植物は本当にすごい、ありがたい植物だと思います。日本の農業も文化も、イネによって支えられてきたと言っても過言ではないでしょう。 
 ワラジやタワラがすたれてしまうのはしかたが無いとしても、「コメ」の生産まで海外に依存して、稲作が減少すると、日本の畑作も駄目になっていくことだと思います。現在畑に投入されている稲わらがどれくらいの量か正確にはわかりませんが、稲わら堆肥の恩恵がなくなるからです。そして、水田が無くなれば洪水や渇水の心配も増えることでしょう。水田による治水、つまりダムの効果は大きいと思います。水田が水を蓄えているから、降った雨をゆっくり使うことができるのです。北朝鮮は今、大変な飢餓状態に陥っているといわれていますが、これは天災ではなく、人災だと言われています。乱開発で森林がすくなくなり、治水力がなくなったので洪水が起こり、洪水が起こると大切な表土が流されてします。そうなってしまったら、いくらお金があっても直すことができなくなってしまうので、食糧不足は半永久的に続いてしまいます。
 水田が担ってきた治水を補うためにいったいいくつダムを建設しなければならないのか?、畑の堆肥として、稲わらの代わりになる有機物はあるのかどうか?そういったことも総合的に考えて政策にして欲しいものです。首相の「神の国」発言は笑わせてくれましたが、私が首相だったら「日本はイネの国です」と言い切りたいところです。


Back