Field of dreamsその1
 小俣チームの復活
 
 子供と野球をやるのは実に楽しい。いいプレーをして誉めてあげたときの得意そうな顔も、失敗して悔しそうな顔も、野球をやっているときの子供の表情は本当に輝いている。長男の圭と、その友達で1学年年上の村田くん、矢野くんと、私の4人で、よく倉庫の前の駐車場でキャッチボールや守備練習をして楽しんでいますが、彼らを見ていると自分の子供の頃を思い出したりします。
 私が小学生たったころは、サッカーは人気がなく、子供たちはもっぱら野球をやっていました。
 私が通っていた小学校にも、野球チームがあって、日曜日など学校の校庭に集まって練習していましたが、そういったチームには野球に覚えのあるおとうさんが、コーチや監督としてやってくるので、自分たちで自由に楽しくやることができそうにありませんでした。それで、私のクラスメートに小俣くんというのがいて、彼はよく言えばリーダーシップのとれるタイプ、悪く言えば番を張るタイプだったのですが、彼が「学校のチームに入ったって、つまんないからさぁ、自分たちでチームを作って、空き地で勝手にやろうよ」と言い出したのです。行動力のある彼は、さっそくその日から「小俣チーム」結成に向けてスカウト活動を始めたのでした。彼は学年でも一番体が大きいほうだったので、その体の大きさ(けんかの強さ)と声の大きさを巧みに使って「おまえ、俺のチームに入れ!わかったな!」と、なかば強引にメンバーを揃えていったのでした。それも、運動神経の良い、野球のうまそうなやつだけに声をかけて・・・。そうして最強の「小俣チーム」が出来上がったのでした。彼の政治力は、今考えてみると相当なもので、集まったメンバーは、まさに学校のオールスター。そして、そのオールスターで結成されたAチームのほかに、Bチーム、つまり2軍まで出来上がってしまったのです。人数も実力も、学校の公式チームよりはるかに上のチームだったのです。そして、どこの空き地で練習するかとか、誰をBチームに落として、誰をAチームに上げるかなど、すべてのマネージメントは小俣くんが掌握していました。
 そんな小俣チームの話を子供たちに話して、「この駐車場で秘密練習をして最強のチームを作ろうか?」と、言ったら、子供たちの目はらんらんと輝き、すっかりその気になったのでした。しかし、今は子供の人数が減っていて、そのうえ子供の半分はサッカーを志しているので、9人揃えるのはかなり大変そう。現実に学校の公式チームでさえ9人揃わないで苦労しているらしい・・・。
 先週は学校で風邪が大流行して、圭のクラスも学級閉鎖になった。金曜日は配達が無いので、さっそく伝説の小俣チーム再建に向けての練習が始まりました。圭と村田くんと矢野くん、この3人は風邪もひかずに元気そのもの。この冬一番の寒さ、寒風が吹くなかでキャッチボールを始めました。すると、駐車場に面する道から自転車に乗った大柄な男が声をかけてきました。「よぉ!すずき!」声の主は小俣くんでした。
 実は彼はこの年になって、杏林大学の学生をやっていて、この春に医師免許を獲得するために勉強中なのだそうです。学校の帰り道に、ちょうどグループ野原の倉庫の前を通るので、このところ、ちょくちょく彼を目撃していました。
 「よぉ小俣!キャッチボールやろう!。子供たちにコーチしてよ!」と言うと「オレ来月試験だから、そんなことしてる暇ないんだよなぁ!」と言いながら上着を脱ぎ、駐車場に入ってきました。子供たちに「この人が伝説の小俣チームを作った小俣くんです」と紹介し、さっそく子供たちの前で模範演技を披露することになりました。
 日が沈み、辺りが薄暗くなり始めた中、考えてみれば、小俣くんとキャッチボールをするのは小学校6年生以来、実に23年ぶりのキャッチボールです。
「お前、投げるとき少し肘が下がるの、昔と変わんないなぁ」と小俣くん。
「あっそう?実はうちの息子も肘が下がるんで、今直してるところなんだけどさぁ」・・。「しかし、お前も相変わらずデカイなぁ、身長何センチになった?」
「180」・・・。
そうしてウォーミングアップを終え、本格投球に入ると、シュルシュルシュル、ズバンッ!!長身から繰りだされるスナップの効いたストレートは威力充分。130キロは裕に超えていそうな剛速球でした。子供たちが「すっげぇー!」と尊敬のまなざしで見つめる中、おじさん2人は寒さを忘れて熱中してしまいました。
 すっかり日が暮れたので今日は解散ということで、自転車に乗って走り出す村田くんと矢野くんの背中に向かって「おぅ!またやろうな!」と小俣くん。彼にとっても、子供たちとの野球はいいストレスの発散になったんじゃないでしょうか?。いやぁ〜野球って、本当にたのしいですねぇ。

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