いかにして信頼を得たか
  書くことが浮かばないので、ぼんやりしていたら、昔オーストラリアのレストランで働いていた時のことを思い出したので、その話でも…・。
 もう12年も前の話、オーストラリアに1年間いましたが、そのうち、ほとんどの時間(約8ヶ月)はレストランで働いていました。働いたといってもキッチンハンド、皿洗いだったわけですが。
 最初に働いたのはとてもチープなステーキハウスで、価格が安いので連日の満員状態で、平日で50人以上、週末は100人を越えるお客さんがやってくる店でしたが、キッチンの中で働いているのは私とフィリップという、ちょっとくたびれた英国のおじさんの二人だけでした。キッチンの人数が少ないので、毎日忙しくて、朝は20本くらいのフランスパンをスライスしてガーリックバターを塗っておいたり(そうそう、その店はマーガリンだった)、ステーキ用の肉をハンマーで裏表、叩いておいたりといった下ごしらえに追われ、開店すると彼は黙々とステーキを焼き、私は黙々と鉄板を洗い続けるという日々でした。彼は英国人なので、キッチンでの作法とか英国流のこだわりとかがあるんじゃないかと思って観察していたのですが、何にも無い人で、私がパンを均等な厚さで切って、均等な量のバターを塗ろうとやっていると、「そんなに丁寧にやらなくていいよTake it easy」と小声でいうような人でした。忙しく働いていているなか、時々目が合うと、疲れたぁ〜というような顔をして見せて「Dear Dear Dear]と必ず言うのですが、その言い方が唯一英国を感じさせるものでした。
 そのステーキハウスは、あまりにも労働条件が悪かったので、1ヶ月くらいでさっさとやめてしまいました。
 次に勤めたのが、スイス人の経営するフランス料理店で、そこでの仕事は結構楽しめました。忙しいことは忙しいのですが、前のステーキハウスほどではなくて、ランチとディナーの間に3時間くらいの休憩があるので、その時間でビーチまでバスで行き、昼寝をして、またレストランに戻るという日々でした。
 経営者とシェフは全員スイス人だったので、キッチンではスイスジャーマンで話され、私に話しかけるときだけ英語(ドイツっぽい英語)という具合でした。スイス人は結構プロ意識が高くて、几帳面で、丁寧で、勤労なので、日本人とは相性がいいようでした。「男はひげを生やすものだ!」というのが違う点でした。ときどき「なぜお前はひげを生やさない?」とか聞かれたりするのですが、「僕はひげを生やすと、汚くて、犯罪者に見えてしまうから生やさないんだ」と几帳面に答えてあげるのでした。
 フランス料理店ではキッチンハンドといえども、結構いろいろな仕事の質を要求されるもので、皿を洗っていればよいというものではなく、下ごしらえも、切り方とか、パセリの水切りが甘いとかうるさいし、オーダーが入ると、その料理に必要な材料をシェフの前に揃えてやったり、その料理に必要な枚数のフライパンを用意したり、テキパキやらなければならず、でも、それは、単純に皿を洗っているだけの仕事よりはずっと面白いものでした。一度にたくさんのオーダーが入ったときに、一つの間違いもなく材料を揃えて見せたりすると「Japanese!!Great!!]とか言って、チームワークの中で、結構シェフものってくるので、ますます日本代表のような気でがんばってしまうのでした。朝、水を撒いたり、ガラスを拭いたりも含めて、キッチンハンドの仕事は忙しいのですが、そんなことでもきっちりいい仕事をやると、経営者も機嫌が良くなったりするし、シェフものってくるし、結構レストラン全体に影響できるんだなぁ、と励んだのでした。
 そうして気に入られて信頼されてくると、気軽にジョークも言い合えるし、反論したり、提案したりもできるようになって、ますます仕事が面白くなっていったのです。
 大中小と3種類のポットがあって、棚にしまっておくときに、背の高い順に並んでないと気に入らないとシェフは言うので、「なんで3個しかないのに背の順で並んでなきゃいけないのさ!」と言うと、「スイスでは軍隊に行くと、ベットの横に@歯ブラシA歯磨き粉B爪切りC縫い針と背の順で並んでいるのだ」と言うので、「日本は徴兵制度が無いから、そこまでは出来ないんだ。第一、僕は背が低いから、背の順という考え自体が嫌いだ」とか…。
 材料が置いてある倉庫に小麦粉を取りに行く仕事と、皿に飾るための花を、裏庭の花壇に摘みに行く仕事とをよく間違えたのですが、小麦粉flourと花flowerがどうしても聞き取れなくて、「ドイツなまりは聞き取りづらいから、花の時は、花のジェスチャーでにっこり笑って」とかも提案しました。
 で、しっかり楽しく働いたので、レストランを辞めるときは「次も日本人のキッチンハンドが欲しい。Suzukiの次はHondaかYamahaか、誰か紹介して欲しい」と言われるまでになったのでした。
 かつては、そんな鉄壁なキッチンハンドの私でしたが、いま家庭の中で優秀なキッチンハンドかというと…・・。
 ちなみにその店は、ノースシドニーからチャッツウッドに抜けるウィルビーロードという道沿いにあるイル・デ・フランスという店でした。いまもやっているのだろうか?。お酒のライセンスがないので、BYO(Bring your own)レストランといって、酒屋で酒を買って持ち込むレストランでした。BYOだと酒代が安くて済むので、ちゃんとしたコースを食べても1500円から2500円くらいで済むのです。不景気のいまの日本でこのBYOレストランをやったら流行るんじゃないかと思います。

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